15世紀以来、海外各地に植民地支配および交易体制を築き、
新大陸発見後はスペインと世界を二分する形で、
海上の覇権を握っていたポルトガル海上帝国。
1415年のセウタ占拠から始まり、
1999年のマカオ返還で実質的な終焉を迎えており、
世界史上における長命な帝国の1つになっています。
香料貿易の重要中継地のマラッカ占領以後、
ポルトガルは東アジアにまで貿易網を拡大し、
日本へも多くの貿易商と宣教師がやってきました。
今回の翻訳元のQuoraのスレッドでは、
日本での貿易と布教がある程度成功していたポルトガルが、
なぜ日本を植民地に出来なかったのかが議論されています。
当時の日本がすでに強力な大国であった事を指摘する声など、
様々な意見が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。
「日本はさすがだ」 ヨーロッパの植民地だった国が一目で分かる世界地図が話題に
翻訳元
■■■ むしろ日本を植民地に出来た国なんて存在しないからなぁ。
中国を征服したチンギス・カンたちでさえ、
日本を征服する事は出来なかったんだから。
+11 ポルトガル■ ポルトガルは占領を試みたよ。
だけど距離があり、日本人は戦闘民族であり、
経済的な配慮から完全な植民地は無理だと踏んだ。
そもそも日本は進んだ国の一員だったわけで。
+3 ロシア■ ポルトガルに日本を植民地化する意図はなかったはず。
彼らのミッションは貿易と宗教だから。
ポルトガルの旧植民地との付き合い方は、
イギリス、オランダ、フランス等とは違った。
ポルトガル■ スペインの君主がポルトガル王も兼ねてた時、
スペインとポルトガル、そのどちらが、
教皇から日本の植民地化の許可を受けたかについて、
意見の相違が生じた事があった。
その時スペインは権利を自分から放棄したんだ。
日本がいかに強大で先進的な国なのかを、
スペインはちゃんと理解していたから。
日本に関しては植民地にするよりも、
貴族や武士をキリスト教徒に改宗させた方が、
自分たちの利益になると踏んだわけだ。
+4 アメリカ■ デビッド・S. ランデスの『強国」論』に、
素晴らしい説明があるので紹介しておく。
「日本がヨーロッパ人と出会った時、
彼らは欧州のやり方を学ぼうとした。
多くの人がキリスト教徒に改宗もした。
しかし、それでも日本は自分たちの優位を疑わなかった。
やがて日本は外国の侵入者の動機について疑心を抱き、
キリスト教の宣教師や信者を弾圧し、
最終的には鎖国を行い外国との関係を絶った」
+21 ベルギー ■ 時が経つにつれ、一部のオランダの人たちは、
日本の内陸に行く事を許可されて、
欧州がナポレオン戦争を戦っていた頃には、
ドイツ人が私立診療所さえ開設してたよ。
+2 イギリス (※「ドイツ人」とはシーボルトの事か。
シーボルトはオランダ語の発音を疑われた際、
「『山オランダ人』だから訛りがある」と弁明した。
なお、オランダはほぼ山が存在しない国)
■ 何で「弾圧」って被害者の立ち位置なの?
+2 国籍不明 ■ あなたの怒りはもっともとも言えるし、
見当違いだとも言える。
ポルトガルの宗教的十字軍の野望は、
実際には北アフリカで燃え尽きてたから。
イエズス会はスペインのフランシスコ会ほど、
直接的なアプローチはしてなかった。
カナダ■ 最初はいいスタートを切ったんだけどね。
他の場所同様、現地の指導者と交易を始めて、
キリスト教の布教も出来るようになった。
他の地域では改宗した地元の有力者と協力して、
他の支配者たちと戦うための武器を供与した。
そうやって支配を進めていったんだ。
しかし、日本だけは例外だった。
ポルトガルと同じような高度な封建社会だったから。
強力な軍事力を持っている事で知られていたし、
ヨーロッパの多くの国より都市化もされていた。
実際に1609年にスペイン王室は、
太平洋におけるスペインの司令官に勅令を出してる。
「我々の兵器と国家の名声を危険に晒さないために、
日本との戦いは回避せよ」と。
+144 アメリカ「日本はさすがだ…」 国王来日 日本のおもてなしにスペインから感動の声■ 日本に上陸したらショウグンに反撃されてたさ。
日本とかみたいな国を植民地化するのは、
アフリカやアラブ、南米の国のようにはいかないよ。
特に日本は島国だから最も困難だっただろう。
+1 国籍不明 ■ 間違いないね!
実際に日本はポルトガルを追い出してるし。
オランダ■ ポルトガルは小さな国だったからなぁ。
むしろ日本の方が大きくて人口も多かったくらい。
そして遠く離れてたのもある。
実際に当時の日本の人口はフランスに匹敵して、
ソースによっては英仏と合わせたくらいの規模だったらしい。
そんな国を植民地化出来ないでしょ。
+25 アメリカ■ 下の地図を見れば一目で分かる。
ポルトガルはスペインよりオランダ的だった。
広大な土地を征服するやり方じゃなくて、
沿岸に交易所を設立してたんだ。
+21 アメリカ 
■ 自分はポルトガル人だけど、
僕らはその点についてよく研究してる。
統治より交易に関心が高かったのもあるけど、
帝国の最盛期は人口が100万人を下回ってた。
たった100万人で世界を支配するのは無理でしょ。
ポルトガル■ 当時の日本は世界最強クラスの刀剣を作ってたもん。
どこも日本を攻めなかったのはそれが理由。
+2 メキシコ「どの剣も格好良すぎる」 日本からは2本 世界の伝説的な刀剣7選が話題に■ 前提としてポルトガルは俺たちが考えてるような、
一般的な植民地化は日本以外でもやってなかったよ。
基本的には欧州とアジアを結ぶ交易路を、
支配・独占するための小さな砦や交易所を作っただけ。
日本に対してもそういった政策を取ってたはず。
日本は技術的に進んでいたし人口も多かったから、
ポルトガルの思い通りにはならなかった。
+198 欧州在住 ■ ポルトガルが南米でやった事を本当に忘れたの?
+3 イギリス ■ 簡潔でかなり正確な答えだと思う。
ポルトガル帝国は船と海路の支配に基づく、
海洋帝国だったんだよ。
国籍不明■ 日本は人口が多かった事に加えて、
当時の世界としてはかなり効果的な政府もあった。
ポルトガルには人的資源もなかったし。
+4 アメリカ■ なんかここではポルトガルが過小評価されてるけど、
当時世界最強の無敵艦隊を保有してたんだぞ?
+13 ポルトガル■ 当時の様子が描かれた「沈黙」って映画が凄くいいよ。
あとポルトガルは「帝国」ではなかった。
だって皇帝がいなかったんだから!
+5 ポルトガル「日本は今でも帝国なのか」 天皇陛下が世界唯一の皇帝である事実に驚きの声■ そもそも日本はインドや他のアジア地域と違って、
非常に強い軍隊があったし、高度に組織化されてたんだ。
大名たちは内戦状態にはあったけど、
外国の勢力に対しては団結して抵抗した。
反対に他のアジアの国において外国人は、
個人的な野望を叶えるのに役立つ存在だったんだな。
ポルトガル■ ポルトガルは日本から遠いし、人口も少ない。
だから日本を支配するのは無理だった。
とは言え弱かったわけでもない。
少なくとも日本の南部は占領出来たはず。
アフリカ、インド、中国に、
拠点となる領土を持ってたし。
+13 国籍不明 ■ オランダが来て日本はポルトガルを追い出したじゃん。
秀吉が日本人(主に女性)の奴隷貿易を、
イエズス会などの責任にして、
布教を全面的に禁止にしたからね。
+2 オランダ■ 日本がポルトガルに植民地化されてたら、
きっとマカオみたいな感じになってたはず。
+4 イギリス■ 植民地化後の日本は今のフィリピンに近いと思うよ。
カトリシズムの国になってただろうね。
+4 国籍不明■ 日本は一度たりとも植民地になった経験はない。
多くの国がそうしようと試みたけどそれでも。
日本は外国と接触した際、他国の良い面は取り入れてきた。
そして鎖国中でもオランダとは貿易したわけだけど、
それはキリスト教を押し付けてこなかったから。
ただ、たとえ日本がどこかの植民地になったとしても、
日本人は悪い面には目をつぶって良い面を取り入れて、
結局はより強い日本になったと私は確信してる。
可能な限り自分たちのライフスタイルを守りながら、
誇り高き日本人であり続けたはず。
+7 セルビア「ありがとう日本」 長崎の祭りに登場する南蛮船にポルトガルから感謝の嵐■ そもそも当時の日本は強すぎたんだよ。
だからポルトガルとしても、
その扱いには細心の注意が必要だったわけで。
+3 ポルトガル■ ポルトガルは人手も資源も足りなかったもん。
貿易ルートを支配して、いくつか重要な港も抑えたけど、
日本のような大国を支配するほどの余力はなかった。
+2 アメリカ■ 日本は人口密度が高く、組織化された高度な社会で、
植民地化するより貿易相手にした方がはるかに有益だった。
まず支配は地元民からの支持がないと無理だ。
メキシコやインドでは実際に支持があった。
だけど日本ではそんな事はあり得なかったんだ。
日本で地元民を味方にするために効果的なのは、
武士階級の大部分をキリスト教徒に改宗させる事だった。
だけどその点のリスクを日本側は認識していて、
そうならないように対策も打っていた。
ただ、たとえ武士が改宗したとしても、
日本を征服出来た国はスペインだけだったはず。
そのスペインもオランダにも目を配る必要があったし、
そもそも当時の日本だってスペイン級の先進国で、
もしかすると経済的な余裕だってスペインよりあった。
どっちにしても占領は無理だったさ。
+17 イスラエル
前提として、当時の日本はすでに大国であり、
軍事的にも強力だったという認識を持たれていました。
「『しなかった』のではなく『出来なかった』」、
というのが多くの方の結論であるようでした。
- 関連記事
-

↑皆様の応援が、皆様が考えている以上に励みになります。