今回はイギリス空軍の英雄、ハリー・フサオ・オハラ氏の話題から。
オハラ氏は1891年横浜生まれで、早稲田大学中退後、英領インドに渡印。
現地で日本の新聞社の記者として働いていたのですが、
第一次世界大戦勃発直後、日本と同盟を組んでいた英国軍の志願兵となります。
オハラ氏の勇敢さは当時、複数の新聞社から賞賛されるほどで、
その功績から、1917年には正式に空軍のパイロットに。
翌年に顎を撃たれて引退するまでに負傷した回数は70回と伝えられており、
その闘争心に対して、イギリス軍から複数の勲章が贈られています。
終戦後にはイギリス人女性と結婚し、3人のお子様と共にロンドンで生活。
怪我の影響で仕事をするのに苦労し、さらに第二次世界大戦が始まってからは、
日本とイギリスは敵国同士となったため、強制収容所への収監も経験。
それでもなお、オハラ氏はイングランドと英国の生活様式を愛していたそうです。
1951年、癌により永眠。享年59。
現在イギリスの空軍博物館には、アジア人としてただ一人、
イギリス空軍の英雄として、オハラ氏の写真が飾られています。
100年も前に異国で英雄となったオハラ氏の波乱万丈な人生に、
外国人から様々な声が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。
海外「武士道の意味が分かった」 戦時中に敵兵を救助した日本人艦長に感動の声
翻訳元
■■■■■■(シェアページからも)

■ すごく興味深かった。
第一次世界大戦の頃の話だと思うと余計に。
+1 アメリカ■ すごい人生だな。
第一次世界大戦ではヒーローだったのにも関わらず、
第二次世界大戦では敵として扱われてしまったのか。
フィリピン■ 素晴らしい物語をありがとう。
お子さんやお孫さんたちの話を知る事が出来れば嬉しい。
+4 米海軍所属 ■ 以前にBBCも彼の数奇な人生を取り上げてたよ。
イギリス■ これだけ類まれな人生経験を持ってる人は、
世界的に見てもそうはいないだろうと思う。
オーストラリア■
シゲノ・キヨタケ大尉のストーリーを思い出したよ。
その人は第一次世界大戦が勃発した時に、
フランス軍に参加してフランスのために戦ったんだ。
フランス■ 軍事関連には詳しい自信があったのに初めて知ったわ……。
一度も聞いたことがなかった自分にビックリだ……。
+2 アメリカ ■ WOW こういう話はもっと有名になってもいいね!!
+1 アメリカ■ アメリカに忠誠を誓った日系人だけじゃなくて、
イギリスに忠誠を誓った日系人もいたんだね。
+1 香港海外「本物の侍たちだ」 米陸軍史上最強 日系人部隊に外国人が感銘■ 彼の身分証明書も残されてるので紹介しておく。
+31 国籍不明
■ 「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラと同じ名字か。
イタリア■ 日本の名字に「O’ Hara」はなかったはずだけど?
国籍不明 ■ 「Ohara」「小原」「 大原」がある。
+4 アメリカ ■ 日本の名字を英国風に変えたって事だろうね。
+1 ノルウェー ■ 彼の奥さんの名字はマクドナルドだったと紹介されてる。
だから元々の名前は「Ohara」だったんだろう。
「Ohara」なら日本で一般的な名字だし。
イギリス■ 日本から来て外国の空軍の英雄になったとか凄すぎだろ。
+1 アメリカ海外「これが日本人なんだよ」 フィリピンで英雄となった日本兵の物語に感動の嵐■ 素晴らしい。第一次世界大戦当時のイギリス空軍に、
多様性があった事を伝える事実でもあるな。
イギリス■ 外国のために戦った日本人パイロットはフランス空軍にもいたよ。
キャプテン・キヨタケ・シゲオの事も調べてみて欲しい。
+1 アメリカ■ イギリス王立空軍には白人しか入れなかった、
って記事では紹介されてるけど、そんなことはないぞ。
インド人も何人か空軍に所属してたんだから。
+1 アメリカ■ オハラ氏のことをもっと知りたい。
彼のようなパイロットがいたという事実は知れたけど、
彼に関する情報があまり多くないのが悲しい。
マレーシア■ こんな凄い男がいたのか。
恥ずかしながら今の今まで知らなかった。
+1 イギリス■ 彼の名字に疑問を持ってる人が多いようだけど、
アクセント記号がない「Ohara」は日本では一般的な名字だよ。
当時は日本人が欧米で暮らすことは稀だっただろうし、
西洋の社会や暮らしてる地域に溶け込むために、
アイルランド系の名字を借用したんだろうね。
+1 アメリカ海外「日本は異文化に寛容な国」 日本人の異文化理解にアイルランド人が感動■ 当時日本はイギリスと同盟関係を結んでいたわけだから。
イギリス人と結婚したことで新たな名字になったんでしょ。
南アフリカ■
ハルキチ・シモイの事も取り上げていいんじゃないかな。
日本の詩人で、大戦中にナポリの大学で日本語の教授になった人なんだ。
ガブリエーレ・ダンヌンツィオと親交があって、
彼らは戦争に関して同じ思想を共有してたんだよ。
そして最終的にイタリア軍の決死隊に入隊した。
噂によると、仲間たちにカラテを教えたらしい。
+2 イタリア ■ その人はファシズムを信仰していて、
ムッソリーニとは友人同士だったんだよね。
ムッソリーニの伝記を何冊か日本で著していて、
日本でファシズムを宣伝した人物だと言われてる。
+1 台湾■ 1917年5月11日付の新聞記事によると、
ロンドンにあったエドモントン軍人病院から退院するときには、
全身に70近い傷跡があったらしいぞ。
イギリス ■ その記事で言われてる事は本当だと保証しよう。
70という数が正確かどうかは分からないが、
遠い昔に彼と顔見知りだったことがある。
見える範囲だけでも多くの傷跡があったよ。
イギリス■ 70回負傷してもなお戦い続けた。
この人はなんて勇敢なパイロットなんだろうか。
+2 スウェーデン海外「本当に勇敢な男達だった」 子犬を抱く若き特攻兵の姿に海外から様々な声■ 俺たちは全員、英雄から「敵」となってしまった彼の物語から学ぶべきだ。
見た目だけでその人の立場を判断してはいけないという事を。
+6 イギリス■ 自分の人生は複雑すぎると考えてしまった時は、
この男の人生を思い出してみるといい。
+22 アメリカ■ 彼のストーリーは人を惹きつける力があるね。
これだけ異色と言える経歴を持つ人なんだから、
人柄も非常に魅力的だったんだろうと思う。
しかし、英雄から敵になってしまったのは悲しい皮肉だね。
イギリス
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んん?と思ったのを覚えてる
その後色々調べてみて凄い人だと思ったよ