1575年6月、長篠城をめぐり織田・徳川連合軍3万8000と、
武田勝頼軍1万5000とのあいだで争われた、長篠の戦い。
当時最強の部隊と謳われた武田軍の騎馬隊に対し、
連合軍側は馬防柵を設け武田の騎馬隊を迎え撃つ戦術を採用。
さらに鉄砲を3000丁用意し、「三段撃ち」戦法を用いて勝利を収めます。
この戦いでの勝利をきっかけに、信長は「天下人」として台頭することに。
長篠の戦いの代名詞とも言える「三段撃ち」ですが、
本当に行われたのかは疑問視されており、「信長公記」にもその記述はなし。
3000丁という鉄砲の数も定かではなく、その半分程度という説もあるそうです
(いずれにせよ、大量の鉄砲を用いたことが大きな勝因と考えられている)。
また武田騎馬隊も虚構であったなど、様々な見方があるようです。
動画は日本の戦国時代を舞台背景においたゲーム、
「TOTAL WAR:SHOGUN 2」の映像を使ったマシニマ(CG映像)で、
長篠の戦いの様子が映像化されています。
実際の戦闘がどんなものだったのか。
諸説ありますが、とにかくも日本史を代表する合戦の1つといえるこの戦い。
外国人からは様々な反応が寄せられていました。
Shogun 2 Total War machinima Battle of Nagashino
■ (武田側の)大将は、自軍の兵士を全滅させたかったみたいだな……。
ドイツ ■ 実際の戦闘を元に作られた動画だ。
当時の日本人は、現代の人間には理解することが出来ない、
「名誉」というものをとても重んじてたんだ。
あえて言うなら、「己の義務に徹しろ」ってところかな。
たとえ、その結果命を落とすことになっても、
任務を遂行することは最大の名誉だったんだ。
フィンランド ■ 当時銃相手の戦術としては一般的だったんだよ。
銃が戦闘に加わってからは、馬を使って突撃させてたの。
馬の速さのほうが、銃の弾を新たに込める速さよりも上だから。
実際には通用しなかったけど、一般的な戦術だった。
フィリピン ■ (織田・徳川軍)の勝利は何も銃のおかげではないだろ。
とはいっても、重大なファクターであったことも確かだけど。
カナダ■ なんか映画「ラストサムライ」の戦闘シーンを思い出した。
デンマーク■ センゴクジダイの知識をほぼすべてゲームから得てる俺は変かな?w
アメリカ■ まぁタケダの戦術はちょっとな。何度やってもオダが勝ったろう。
カナダ ■ タケダ軍はまるで桜の花のように散っていってるな。
アメリカ■ タケダダイミョウは無能と言われても仕方がない。
もしタケダ・シンゲンがいたら、色々と大幅に変わってただろうな。
アメリカ■ あの戦闘の日って、雨が降ってたんじゃなかったっけ?
アメリカ ■ いや、雨が降ってたのは戦闘の前日ね。
そのせいで戦場の地面は荒れた状態だったんだ。
もし当日も雨だったら、オダの銃兵は深刻な問題に直面しだだろう。
ブラジル■ 前からずっと気になってたんだけど、戦闘時にサムライがいつも持ってる、
エアバッグみたいなあれは何なんだ?
ドイツ ■ あれはホロって呼ばれてるものだ。
矢による攻撃から守るために使われてて、実際かなり効果的だった。
たいてい絹や羊毛から作られてたみたい。
アメリカ ■ 側面からの攻撃っていうのは全然頭になかったみたいだねw
アメリカ ■ やったんだよ。この動画では紹介されてないけど。
オダは地の利を完全に使って、側面攻撃をされないようにしたんだ。
日本在住■ こうしてタケダは滅んだわけだ。個人的にカツヨリはよくやったと思うけど。
アメリカ■ 父であるシンゲンが築き上げたすべてを無駄にし、
ノブナガによってタケダ家を滅ぼされてしまうなんて、残酷な運命だ。
君たちもそう思わないか?
クウェート ■ 戦闘で火縄銃を用いるっていう概念に達したのは、
多分世界的に見てもオダ氏が初めてなんじゃないかな。
アメリカ ■ シンゲン・タケダは草葉の陰で怒り狂ってただろうな。
騎兵隊の使い方としては最低レベルだろ。
アメリカ ■ それは間違いなさそうだ……。
シンゲン・タケダは、カツヨリ・タケダよりも2段階はレベルが上だった……。
それでも、ノブナガ・オダもまた、稀代の戦略家だったって事実も、
ちゃんと考慮しないといけないけど :)
ギリシャ ■ あの赤軍は矢を使うべきだったんじゃないかな……。
アメリカ■ タケダ・シンゲンは偉大だった!!!!
タケダ・カツヨリは愚将だった!!!!
もっとこういう戦国時代の動画を作ってくれ!!!
イギリス■ 相手が銃を持ってる中、馬で突っ込んでいくのはかなり馬鹿げてる。
シンガポール■ どうしてタケダの騎馬隊は突っ込むんじゃなく、側面攻撃をしなかったんだ?
カナダ ■ 実際の戦闘では、銃兵の50~60メートル手前に川があったために、
タケダの騎馬隊はそこまで速く駆けることが出来なかった。
それで騎馬隊は火縄銃の餌食になってしまったんだ。
オダの火縄銃部隊は次から次に射撃しまくったから。
ヤリの部隊が騎馬隊の後ろに控えてはいたんだけど、
タケダ軍は火縄銃の火力に対してあまりにも無力だったんだ。
ポルトガル ■ こんな戦闘が実際にあったなんて信じられない。
(武田側の)兵士たちは可愛そうだな……。
マレーシア■ 一応言っておくが、この悲劇の責任はタケダ・カツヨリにある。
アメリカ■ オダ・ノブナガは世界最高の大将の一人だ。
イタリア■ オダが常に最高である理由がお分かりいただけただろうか。
フィリピン■ 槍兵のど真ん中に騎馬隊を送り込むなんていう、
輝かしい戦術を採った大将の名前はなんて言うの?
国籍不明 ■ タケダ・カツヨリだ。オダとトクガワの軍隊を過小評価して、
高名なタケダの騎馬兵1000人を死に至らしめた。
騎馬隊が壊滅するやいなや、タケダ軍は陣地を放棄して逃げたし。
アメリカ ■ タケダの騎馬隊は、敗れることがないって当時は考えられてたんだ。
この戦闘の結果には、日本中に動揺が走ったくらいなんだよ。
カナダ ■ この戦いまでは、タケダはそうやって勝ってきた。
だけどシンゲンの息子は、敵が対策を練ってきた時、
その戦法は通じないってことを認識出来るほど賢くなかった。
しかも攻撃お開始するのが早すぎたっていう面もある。
もっとも、完全に浅はかだったって言うわけではないが。
その時は雨が降ってたから、火縄銃は使えなくなるって踏んでたのよ。
実際はそうはならず、破滅に向かうことになるわけだけど。
アメリカ ■ タケダ・カツヨリ……。
父はあの偉大な将軍、タケダ・シンゲンだ……。
残念ながら……息子は優秀ではなく、タケダ家を滅ぼしてしまった。
セルビア ■ タケダ家が滅亡したすべての責任が、カツヨリにあるとは思わない。
シンゲンがこの世から去った時に、タケダ家の命運が尽きたんだ。
誰が頭であろうと、その運命から逃れる事は無理だった。
オーストラリア 「連合軍に対抗する術を持たなかった」といった理由で、
また父・信玄と比較する形で、勝頼に対する批判が目立ちました。
日本でも「武田氏の滅亡を招いた」というネガティブな評価が少なくありませんが、
信長自身は勝頼を、勇猛な武将として評価していたそうです。
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刀の方が好き過ぎて世界に遅れをとってしまったのが残念