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パンドラの憂鬱



米国「全ての日系人に感謝を!」 戦前に米国の農業を変えた日系人達の貢献に再び脚光

今回は、「いかにして日系人がカリフォルニアの農業を変えたのか」
と題された投稿からで、日系アメリカ人による農業への貢献と、
差別に負けずに成功を収めた日系人たちの物語が紹介されています。

早速ですが、以下が要点です。

「ITの街になるまで、カリフォルニアには畑が広がり、
 そこで人々は果物、野菜、花を栽培していた。
 そしてカリフォルニアの農業の初期の成功者は、日系アメリカ人達であった。
 日系人の人々がアメリカ人に食べ物を供給していたのにも関わらず、
 それでも彼らは、地域や政府から受ける差別に苦しんでいた。

 以下はいかにして日系人がアメリカの食を支えていたのかに関する物語である」


・カリフォルニアは20世紀初頭にアメリカ随一の穀倉地帯となった。
 それは、移民、特に日系移民の働きによるところが非常に大きい。


・1882年に中国人排斥法が施行されたのちに渡米してきた日系人が、
 カリフォルニアが失った重要な働き手の代わりを務めた。
 そして彼らは、カリフォルニアに農地としての可能性を見出したのだ。
 日系人は懸命に働き、質の高い作物をマーケットに売り込んだ。


・日系人は急速に、ありとあらゆる作物を作り出すようになった。
 しかし日系人の成功は、賞賛と、そして妬みを生み出した。
 そこには西海岸に根強く存在していた、東洋人に対する悪感情も絡んでいる。
 

・1913年にはカリフォルニア州で外国人土地法が成立。
 それにより、日系一世の人たちは土地所有が禁止された。
 それ以後も加州における排日感情が静まることはなく、
 1920年には、二世も土地所有が出来なくなってしまった。


・排日移民法が施行されたのにも関わらず、それでも日系人は、
 1940年まで、加州の作物の約4割を生産するようになっていた。
 

・第二次世界大戦が始まると、日系人は収容所に連行された。
 多額の売り上げを生む農地も、補償がないまま手放さなければならなかった。
 そして彼らの農地や設備などは、白人の人たちの手に渡ることになる。
 強制収用された後も、日系人は自分たちで全てを行なった。
 農作物を育てることから、子供達の教育までその全てを。


・戦後、多くの日系人には帰る家がなかった。
 近隣住民の好意で、農業を続けられる日系人もわずかにいたが、
 それでも、厳しい状況に直面することには変わりがなかった。


・現在多くの日系人は農業から離れ、専門職に就くことを目指している。

 

以上になります。
「アメリカの食を支えた」とまで表現される日系人の人々の多大な貢献に、
アメリカ人を中心に、感動の声が多数寄せられていました。
 
海外「日本に追いつくなんて無理だ…」 日本の農業のハイテクっぷりに世界が衝撃

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[ 2018/05/15 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(539)
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