パンドラの憂鬱



海外「日本が独自進化させたんだよ」日本のラーメンのルーツは中国という事実に外国人が衝撃

今回は、エコノミスト紙が複数回投稿している、
ラーメンのルーツに関するコラムからになります。

記事ではまず、ラーメンは日本のソウルフードであり、
日本人は、20世紀に日本が生み出した発明品の中で、
インスタントラーメンが最高の物だとさえ考えている点を紹介。
(恐らく2000年に富士総合研究所が行った調査が元)。

そして次に、ここが記事の本旨ですが、
日本におけるラーメンは、19世紀に中国から日本に来た移民の人々が、
横浜や長崎などの港町にチュウカソバを持ち込み、
地元の労働者たちに提供していたことが始まりであり、
ルーツは日本ではなく、中国にあると指摘しています。

エコノミスト紙が「ラーメン好きの人間はきっと驚くだろう」
と伝えるこの事実に、外国人から様々な反応が寄せられていました。

海外「漢字を独自進化させたのか!」ひらがなの成り立ちが面白すぎると大反響

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[ 2018/01/19 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(894)

海外「日本人は外国の神も信仰するのか」 日本に根付くヒンドゥー教の神々に驚きの声

今回ご紹介する映像は、近頃インドで度々アップされているもので、
ヒンドゥー教の神々をルーツに持つ弁財天、火天、大黒天、帝釈天、閻魔などが、
仏教の護法善神として、現在でも日本で祀られていることが紹介されています。

以下は動画内の榎泰邦・前在インド日本国大使のメッセージ。

「日本の(天部)神の実に8割がヒンドゥー教に起源を持ちます。
 その事を多くの日本人が知りません。
 例えば私は東京郊外の吉祥寺という街に住んでいるのですが、
 吉祥寺は、『吉祥天の寺』という意味なのです。
 吉祥天は、元はラクシュミーです。

 8世紀にはインドの仏僧、菩提僊那が日本に来ていました。
 東大寺大仏殿の開眼供養法会では、導師を務めています。

 日本の文化の根底にインド文化の痕跡がある事。
 そしてそれが日本流に発展していった事。
 この2点は、日本でもっと認知されるべきだと考えています」



一部形を変えながらもヒンドゥー教が日本の仏教に影響を与えていることは、
インドでは少なくとも広くは知られていなかったようで、
コメント欄には驚きと感銘の声が相次いでいました。

インド「神道は全てを受け入れる」 天皇陛下に贈られたヒンドゥーの聖典が論争に

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[ 2017/12/20 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(922)

海外「日本がキリスト教化しなくてよかった!」日本のキリスト教徒弾圧に理解を示す海外の人々

今回は歴史系のサイトが投稿した、日本のキリスト教徒弾圧の記事から。

キリスト教が日本に伝えられたのは、最も早くて5世紀とする説がありますが、
一般的には、歴史的に見て証拠が多く残されている、
イエズス会のフランシスコ・ザビエルによる布教による物だと考えられています。

織田信長がキリスト教を庇護したことで順調に信者が増えて行きましたが、
豊臣秀吉の時代には、キリスト教徒が神道や仏教を迫害する事例が増えた為、
1587年にバテレン追放令が発布され、宣教が禁止されることになります。
徳川の時代では一時的に布教が認められていましたが、
1612年にキリスト教禁止令が発布され、さらに鎖国政策が採られたことにより、
宣教師が日本国内で布教をすることは不可能となりました。

翻訳元では主に、サン=フェリペ号事件の顛末を中心に、
宣教師や隠れキリシタンが厳しく弾圧されていたことが伝えられています。

基本的には、その弾圧がいかにひどい物だったかという内容ではあるものの、
コメントの大多数は、「禁教にした日本は正しかった」とするものでした。

海外「日本には真の自由がある」 ブッダとイエスのギャグ作品に外国人が衝撃

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[ 2017/12/15 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(826)

海外「日本は島国だから特別なのか?」 和紙の作り方を映した映像への反響が凄い事に

今回は岐阜県で製造される、美濃和紙の作り方を収めた映像からです。

美濃和紙が作られ始めたのは奈良時代のことで、
702年の正倉院文書にも美濃の紙が記録されています。
平安時代には、宣命紙や公用紙を生産。
その後も美濃和紙は日本各地に伝播していき、
江戸時代には、「美濃」が障子の代名詞にまでなっています。

映像では、和紙の原料としてコウゾの靭皮繊維が、
「ねり」の原料にトロロアオイがそれぞれ用いられている点を紹介。
そして最後に(美濃)和紙が他の紙に比べて、
強く耐久性がある理由として、繊維が長い点が挙げられています。

基本的に日本の工芸品等を扱った投稿は海外ネットで非常に人気が高いのですが、
この映像も、半月足らずで430万回以上の再生数を獲得しています。

投稿には、和紙、ひいては日本の伝統に対する賞賛の声が多く寄せられています。
外国人の反応をまとめましたので、ご覧ください。

海外「日本人には敵わんな…」 1300年の歴史を持つ建築工法に外国人が驚嘆

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[ 2017/12/02 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(460)

海外「何で日本だけを責めるんだ…」 旧日本軍を非難する英紙に外国人から怒りの声

今回は、英デイリー・メール紙の日本軍の捕虜に対する扱いに関する記事から。

記事では、第二次世界大戦中、英米豪蘭などの連合国軍の兵士、
約14万人が日本軍の捕虜となり、強制労働による過労や暴行などにより、
数万人が命を落とした、という主張がなされています。

コメント欄では、多くの国を植民地にして来たイギリスのメディアが、
他国の軍隊を批判的に取り上げていることに、非難の声が集中。
イギリスを含めた欧米人の方々の多くは、
「過去のことはもういいだろ」という立場であるようでした。

「最も高潔な軍隊だった」 ドイツ人作 日本兵へ贈るトリビュートに様々な声

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[ 2017/11/27 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(818)

海外「涙が止まらない…」 外国人が語る日本人特有の美意識が世界を感動の渦に

今回は、「『金継ぎ』を知れば、日本文化の素晴らしさを理解できる……」
というサブタイトルがつけられた動画からで、
『金継ぎ』を通して、体や心の傷との向き合い方が語られています。

以下が要点です。

「日本には、割れてしまったお椀を元通りに直す文化があります。
 割れてしまった部分に(漆を塗って接着し)金をまぶすのです。
 そうすると、そこに美しい線が生まれます。
 一度壊れてしまった物の美しさを強調するためにそうするのです。
 
 日本人は傷を歴史の一部だと捉え、傷により一層美が増すと考えます。
 そして、それは人間にも言えることだと。
 どんな体験も、人を醜くすることはないと捉えているのです。

 抱えた傷を美しい物にするかどうかは、自分たち次第です。
 起きてしまったことから人は学ぶことが出来ます。
 そしてその経験から、人間的に成長することだって出来るのです。
 なぜならあなたが苦難を乗り越えようと努力した末に出来た傷であれば、
 あなたはその傷を誇りに思うことが出来るからです。
 『この傷が、今の自分を形作っているのだ』と。
 『今なら、どんなことだって乗り越えることが出来る』と。

 完璧な人生を歩んでいる、あるいはずっと歩める人間なんていません。
 誰もが抱える傷を、美しい物にするかどうかは自分次第なのです。
 
 自分に起きたことを受け入れることが大事です。
 その経験が自分には必要だったのだと考えるべきです。
 受け入れた瞬間、何かを乗り越える上で大事なことが分かるのです。

 傷つく前の自分に執着してはいけません。
 次のステップに進むためには、傷つくことだってあるのですから。
 
 この動画が、今困難に直面している人の助けになることを願っています」



以上になります。

動画の再生数は約2300万回、シェア数が約100万回と、
あまり見たことがない数字になっています。
コメントも5万件近く寄せられているのですが、
多くの方が、感動の涙を禁じ得なかったようでした。

海外「神道的な美なんだよ」 日本の陶器の『不完全さ』を巡り外国人が論争

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[ 2017/11/23 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(458)

海外「日本史上最も偉大な天皇だった」昭和天皇を特集した米メディアの映像が大反響

今回は、ヒストリーチャンネル・アジア版が投稿した、
昭和天皇の生涯にスポットを当てた投稿からです。

早速ですが、以下が要点になります
(青字部分だけでも十分かと思います)。

2発の原爆投下で日本は破壊されたが、なおも米国との戦争は続いていた。
 誰かがこの戦争を終わらせる必要があったが、
 日本国民に対して敗戦を告げることが出来たのは、
 道徳的権限を持つ昭和天皇ただ一人だった。



昭和天皇は、1926年に大正天皇が崩御された後に皇位を継いだ。
 1940年に日本は日独伊三国同盟を結び、
 壊滅的な4年間が過ぎた後、広島と長崎に原爆が投下された。
 こうして、昭和天皇のリーダーシップが問われる事となった。


戦後日本には国民に何かを伝えるリーダーが、つまり天皇が必要だった。
 それまで天皇は公共に向けては沈黙を保っていたが、
 「玉音放送」で、天皇として初めて国民に言葉を発した。



東条英機首相をはじめとする多くの軍部首脳が、
 戦後裁判にかけられ、戦犯として処刑されたが、
 様々な戦争行為に加担した組織のトップだった、
 昭和天皇は裁判にかけられることはなかった。
 権力のない象徴になってもらうことを、マッカーサーが決めたのだ。
 民主的な同盟国として日本を再建するという米国の目的において、
 昭和天皇の存在は重要だと気がついたためだ。



昭和天皇の時代は、戦後40年以上続いた。
 その間、昭和天皇は多くの出来事を目撃した。
 日本の自動車産業や家電産業の台頭、ゴジラ映画、
 日本の野球リーグの登場などである。


昭和天皇が崩御された1989年、日本は世界第2位の経済大国になっており、
 日米は敵同士ではなく、近しい友人であり、貿易パートナーになっていた。


日本が一躍世界の表舞台に躍り出て、一度は傷つき倒れ、
 再び大国として戻ってきた時代に在位していた昭和天皇は、
 天皇の歴史上、最も在位期間が長かった。
 20世紀の、激動の時代に生を受けた人だったのだ



以上になります。
昭和天皇の戦争責任について言及する声もいくつかありましたが、
ほとんどの方は戦時中の事よりもその後の復興に着目しており、
激動の時代を支えられた昭和天皇への敬意が感じられる意見も目立ちました。

海外「日本人は幸せだね!」 両陛下を写した1枚のお写真に外国人が感動

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[ 2017/11/18 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(483)

海外「こんな国にどう勝てと…」焼け野原から復興を遂げた東京の姿に外国人が衝撃

第二次世界大戦末期、焼夷弾を用いた東京に対する大規模な爆撃が、
アメリカ軍により100回以上行われており、
中でも1945年3月10日の空襲では犠牲者の数が10万人を超え、
東京の全建物の4分の1が破壊され、100万人の方が家を失いました。

今回ご紹介する写真は、空襲後焼け野原となった1945年当時の東京と、
復興と発展を遂げ、世界有数の大都市になった現在の東京を比較したものです。

文字通り灰燼に帰してしまった東京が奇跡的な復興を果たしたことに、
海外から驚きの声が相次いでいましたので、その一部をご紹介します。

海外「日本が復活出来たわけだ」 広島市民の気高い精神性に海外から称賛の声

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[ 2017/11/12 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(680)

海外「日本では反逆者でも英雄なのか」 米メディアが西郷隆盛の生涯を特集し話題に

倒幕と維新に尽力した、維新の三傑の一人、西郷隆盛。
薩摩藩の下級武士でしたが、何度も建白書を書き藩庁に提出していた事もあり、
いつしか藩主の島津斉彬の目にとまり、登用されることになります。

斉彬の死後、流罪を2度経験するも、大久保利通などの働きかけで復帰し、
蛤御門の変以降に活躍を見せ、薩長同盟の成立や王政復古に成功。
その後も戊辰戦争を主導し、江戸無血開城を成功に導くなどし、
明治4年に参議、その2年後には陸軍大将となります。

しかし明治6年、朝鮮への全権大使派遣案を潰された西郷は、
政府に辞表を提出し、故郷である鹿児島へ戻ります。
旧鹿児島城内に私学校を設立して教育に専念していましたが、
九州地方を中心に各地で士族による反乱が相次ぐ中、
西郷も明治10年の西南戦争で指導者として担がれることとなり、
戦争に敗れ、城山で自刃しました。享年51(満49才)。

翻訳元のナショナルジオグラフィックの記事では、
そのような西郷隆盛の生涯が紹介されており、
最後に、「義理と人情との間で揺れる日本の古典的な葛藤に直面する中、
西郷が見せた威厳と勇気が、彼を国民的英雄へと押し上げた」と締めています。

投稿の見出しでは、上野公園内の西郷隆盛の銅像の写真が紹介されており、
「反逆者」の像が存在する点も、特にアメリカ人から注目されていました。

海外「映画より面白い」 ラストサムライの史実に外国人興味津々

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[ 2017/11/01 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(803)

海外「日本と戦うなんて勇敢だな」日本とモンテネグロが最近まで戦争を続けていた事実が話題に

1904年2月、日本とロシアとの間で勃発した日露戦争。
日本海海戦でバルチック艦隊を破るなどし、日本がロシアを追い詰め、
1905年9月に締結されたポーツマス条約により講和しました。

実は日露戦争時点で、モンテネグロはロシアの管轄統治下にあったため、
1905年にモンテネグロも日本に宣戦布告をしており、
義勇兵を主戦場の1つであった満州に派遣していました。
しかし、実際には日本との間で戦闘は行われなかったために、
その宣戦布告は無視され、講和会議にも招かれておりません。
そのため国際法上、日本とモンテネグロは交戦状態が続いていました。

しかし、日露戦争勃発から100年以上が経った2006年6月、
モンテネグロが独立宣言をした際に、日本政府は独立を承認し、
総理大臣と外務大臣の特使をモンテネグロに派遣。
実際には休戦や講和に関するやり取りは行われていないのですが、
この「国交回復」を、事実上の講和とみなす声もあるようです。

この歴史秘話が、海外サイトで取り上げられ話題になっていました。
寄せられたコメントをまとめましたので、ご覧ください。

海外「アジアにとって重要な一戦」 日露戦争の顛末に外国人興味津々

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[ 2017/10/24 23:00 ] 文化・歴史 | TB(0) | CM(462)
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