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パンドラの憂鬱

外国メディアの記事などに寄せられた、海外の反応をお伝えします


海外「ありがとう、日本」エーゲ海で800人の難民を救った日本人の歴史秘話が話題に

今回は、日本とアルメニア&ギリシャの歴史秘話から。

1919年から3年間続いた希土戦争の終盤となる1922年9月8日、
ギリシャ系とアルメニア系の難民は、政府からの救助を得られないまま、
トルコ軍によりトルコ西部の都市、イズミルへ追いやられていました。
戦争末期の混乱下とあって他国の船が自国民を中心に救出する中、
当時イズミルに寄港していた日本の商船の船長だけは、難民の救出に動きます。

当時船には絹やレースなど貴重な商品が積まれていたのですが、
船長は船員と共に積み荷の大部分を海に投げ捨て、難民を乗せるスペースを確保。
その後難民を船に乗せ、ギリシャの海岸まで無事輸送しました。
船長の勇気ある決断により、800人の難民が命を救われています。
なお、その日本人船長の名前は、いまだに不明のままです。

100年近く前の出来事ながら、この件はギリシャで今も語り継がれており、
2016年7月には、ギリシャ難民の団体「エスティア」により、
敬意を示すプレートが西林駐ギリシャ日本大使(当時)に授与されています。

この歴史秘話を、最近になって主にアルメニアのサイトが取り上げており、
アルメニア人とギリシャ人の間で大きな反響を呼んでいます。
関連投稿に寄せられた反応をまとめましたので、ごらんください。

海外「私達は絶対に忘れない」 杉原千畝の功績に多くのユダヤ人から感謝の声

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[ 2018/04/27 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「日本人とかいう万能集団よ…」 江戸時代に作られた万年時計に世界が衝撃

今回は、万年自鳴鐘(万年時計)に関する話題から。

万年自鳴鐘は、江戸時代の発明家であり東芝の創業者である田中久重が、
嘉永3年(1850年)から翌年にかけて制作した機械式の置時計です。
1000点を超える部品(殆どが田中の自作)から作られており、
一度巻けば一年動くという驚異的な持続時間を実現しています。

天象儀(プラネタリウム)、和時計、二十四節気の表示、
曜日と時刻の表示、十干十二支の表示、月齢の表示、
そして洋時計の7つの機能が六角柱様の本体の各面に配置されており、
それらが底部のぜんまい動力により連動して動作する構造になっています。

機構の精巧さもさることながら、外装も蒔絵や螺鈿など様々な技法が用いられ、
伝統工芸品としても高い精度を誇っており、2006年には国の重要文化財に。
現在の所有者は東芝で、国立科学博物館に寄託・展示されています。

150年以上前に作られたものとは思えないその精巧さに、
海外から驚きの声が殺到していましたので、その一部をご紹介します。

海外「日本人が怖い」 江戸時代に作られたカラクリ人形の性能に外国人が驚愕

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[ 2018/04/20 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「日本の統治は偉大だった」 日本統治下の満州の映像に海外から驚きと感動の声

1932年から1945年の間、現在の中国東北部に存在した満州国。
満洲国は建国の際、満洲人による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、
建国理念として満洲人・日本人・漢人・朝鮮人・蒙古人による、
五族協和と王道楽土を掲げていました。

満州国建国後、日本資本の導入による重工業化や、
日本からの近代的な経済システムを導入した事で急速な発展を遂げ、
人口も建国からわずか10年で約1500万人増加しています。

ご紹介する動画では、「日本統治下」の活気ある満州の様子が紹介されています。
外国人から様々な反応が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。

海外「みんな幸せそうだ」 日本統治時代のソウルの様子を映した貴重映像

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[ 2018/04/16 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「当時によくこんな物を…」 葛飾北斎が残した絵描きの手引書が凄すぎると話題に

今回は、葛飾北斎の「略画早指南」(りゃくがはやおしえ)の話題から。

「略画早指南」は、絵を簡単に描くための手引き書で(大英博物館所蔵)、
前編が1812年に、後編が1814年に刊行されています。
前編では文字を、後編ではコンパスや定規を使ったお手本が掲載されており、
動物の描き方などを見ると、北斎の絵が幾何学で構成されていること、
そして北斎が和算に詳しかったであろうことが分かります。

この北斎の「略画早指南」が現在インターネット上で公開されており、
前編・後編に収められた様々な手引きを見ることができます。

200年前に書かれた世界的大画家の画期的かつユーモラスな指南書に、
外国人から感動の声が多数寄せられていましたので、一部をご紹介します。

海外「日本の芸術は過小評価されてる」 葛飾北斎の浮世絵集に外国人感激

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[ 2018/04/01 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「当時の日本人の偏見のなさに驚いた」 家康に仕えた白人の侍の存在に外国人が衝撃

今回は海外の人気歴史サイトが取り上げていた、
ウィリアム・アダムス(三浦按針)の話題からです。

ウィリアム・アダムスはイギリス南東部出身の航海士・貿易家で、
オランダ船リーフデ号に乗り、1600年に漂着する形で日本に来ました。
日本漂着から半月後、アダムスらの処遇を担当していた徳川家康と引見。
その後何度か引見を繰り返し、海賊でも布教目当てでもないことを悟った家康は、
アダムスとヤン・ヨーステンを江戸に招くことになります
(その間イエズス会は、アダムスらを海賊と讒言し処刑を日本側に進言している)。

江戸に来たアダムスは当初から米や俸給を与えられていましたが、
家康から指示された大型の船舶を伊東に設けたドックで完成させたことで、
250石取りの旗本に取り立てられた上で帯刀も許され、
相模国に采地と、また三浦按針という名乗りも与えられています。

その後は、主に外交顧問として家康から信頼されていたアダムスですが、
家康が1616年に死去して以降は、鎖国体制により不遇の立場に。
天文官として平戸に送られ、幕府に警戒されながら晩年を過ごしました。
日本漂着から20年後の1620年に平戸で死去。享年55。

欧州出身の侍がいたという事実に、海外から様々な反応が寄せられていました。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。

「親日派の家系だから」『徳川家康』を愛読する朴槿恵被告が中国で話題に

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[ 2018/03/28 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「当時のヨーロッパより豊かだ…」 大正時代の日本を映した高画質動画に感動の声

今回ご紹介する映像は、第一次世界大戦直前の1913年(大正2年)から、
大戦景気が始まる1915年(大正4年)の東京を映したもので、
撮影者などの詳細は一切記載されていなかったのですが、
当時の映像としてはかなり高画質の貴重映像になっています
(0:06〜1:35までが1913年、1:36〜4:06までが1915年)。

音は後から投稿者さんが(?)入れたものなのですが、
それでも当時の雰囲気が伝わる素晴らしい動画になっています。
寄せられたコメントをまとめましたので、ごらんください。

海外「何だこの画質は!」 1992年の東京を映した映像の画質が凄まじい

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[ 2018/03/22 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「日本が独自進化させたんだよ」日本のラーメンのルーツは中国という事実に外国人が衝撃

今回は、エコノミスト紙が複数回投稿している、
ラーメンのルーツに関するコラムからになります。

記事ではまず、ラーメンは日本のソウルフードであり、
日本人は、20世紀に日本が生み出した発明品の中で、
インスタントラーメンが最高の物だとさえ考えている点を紹介。
(恐らく2000年に富士総合研究所が行った調査が元)。

そして次に、ここが記事の本旨ですが、
日本におけるラーメンは、19世紀に中国から日本に来た移民の人々が、
横浜や長崎などの港町にチュウカソバを持ち込み、
地元の労働者たちに提供していたことが始まりであり、
ルーツは日本ではなく、中国にあると指摘しています。

エコノミスト紙が「ラーメン好きの人間はきっと驚くだろう」
と伝えるこの事実に、外国人から様々な反応が寄せられていました。

海外「漢字を独自進化させたのか!」ひらがなの成り立ちが面白すぎると大反響

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[ 2018/01/19 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「日本人は外国の神も信仰するのか」 日本に根付くヒンドゥー教の神々に驚きの声

今回ご紹介する映像は、近頃インドで度々アップされているもので、
ヒンドゥー教の神々をルーツに持つ弁財天、火天、大黒天、帝釈天、閻魔などが、
仏教の護法善神として、現在でも日本で祀られていることが紹介されています。

以下は動画内の榎泰邦・前在インド日本国大使のメッセージ。

「日本の(天部)神の実に8割がヒンドゥー教に起源を持ちます。
 その事を多くの日本人が知りません。
 例えば私は東京郊外の吉祥寺という街に住んでいるのですが、
 吉祥寺は、『吉祥天の寺』という意味なのです。
 吉祥天は、元はラクシュミーです。

 8世紀にはインドの仏僧、菩提僊那が日本に来ていました。
 東大寺大仏殿の開眼供養法会では、導師を務めています。

 日本の文化の根底にインド文化の痕跡がある事。
 そしてそれが日本流に発展していった事。
 この2点は、日本でもっと認知されるべきだと考えています」



一部形を変えながらもヒンドゥー教が日本の仏教に影響を与えていることは、
インドでは少なくとも広くは知られていなかったようで、
コメント欄には驚きと感銘の声が相次いでいました。

インド「神道は全てを受け入れる」 天皇陛下に贈られたヒンドゥーの聖典が論争に

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[ 2017/12/20 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「涙が止まらない…」 外国人が語る日本人特有の美意識が世界を感動の渦に

今回は、「『金継ぎ』を知れば、日本文化の素晴らしさを理解できる……」
というサブタイトルがつけられた動画からで、
『金継ぎ』を通して、体や心の傷との向き合い方が語られています。

以下が要点です。

「日本には、割れてしまったお椀を元通りに直す文化があります。
 割れてしまった部分に(漆を塗って接着し)金をまぶすのです。
 そうすると、そこに美しい線が生まれます。
 一度壊れてしまった物の美しさを強調するためにそうするのです。
 
 日本人は傷を歴史の一部だと捉え、傷により一層美が増すと考えます。
 そして、それは人間にも言えることだと。
 どんな体験も、人を醜くすることはないと捉えているのです。

 抱えた傷を美しい物にするかどうかは、自分たち次第です。
 起きてしまったことから人は学ぶことが出来ます。
 そしてその経験から、人間的に成長することだって出来るのです。
 なぜならあなたが苦難を乗り越えようと努力した末に出来た傷であれば、
 あなたはその傷を誇りに思うことが出来るからです。
 『この傷が、今の自分を形作っているのだ』と。
 『今なら、どんなことだって乗り越えることが出来る』と。

 完璧な人生を歩んでいる、あるいはずっと歩める人間なんていません。
 誰もが抱える傷を、美しい物にするかどうかは自分次第なのです。
 
 自分に起きたことを受け入れることが大事です。
 その経験が自分には必要だったのだと考えるべきです。
 受け入れた瞬間、何かを乗り越える上で大事なことが分かるのです。

 傷つく前の自分に執着してはいけません。
 次のステップに進むためには、傷つくことだってあるのですから。
 
 この動画が、今困難に直面している人の助けになることを願っています」



以上になります。

動画の再生数は約2300万回、シェア数が約100万回と、
あまり見たことがない数字になっています。
コメントも5万件近く寄せられているのですが、
多くの方が、感動の涙を禁じ得なかったようでした。

海外「神道的な美なんだよ」 日本の陶器の『不完全さ』を巡り外国人が論争

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[ 2017/11/23 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)

海外「日本史上最も偉大な天皇だった」昭和天皇を特集した米メディアの映像が大反響

今回は、ヒストリーチャンネル・アジア版が投稿した、
昭和天皇の生涯にスポットを当てた投稿からです。

早速ですが、以下が要点になります
(青字部分だけでも十分かと思います)。

原爆により日本は破壊されたが、なおも米国との戦争は続いていた。
 誰かがこの戦争を終わらせる必要があったが、
 日本国民に対して敗戦を告げることが出来たのは、
 道徳的権限を持つ昭和天皇ただ一人だった。



昭和天皇は、1926年に大正天皇が崩御された後に皇位を継いだ。
 1940年に日本は日独伊三国同盟を結び、
 壊滅的な4年間が過ぎた後、広島と長崎に原爆が投下された。
 こうして、昭和天皇のリーダーシップが問われる事となった。


戦後日本には国民に何かを伝えるリーダーが、つまり天皇が必要だった。
 それまで天皇は公共に向けては沈黙を保っていたが、
 「玉音放送」で、天皇として初めて国民に言葉を発した。



昭和天皇が裁判にかけられることはなかった。
 権力のない象徴になってもらうことを、マッカーサーが決めたのだ。
 民主的な同盟国として日本を再建するという米国の目的において、
 昭和天皇の存在は重要だと気がついたためだ。


昭和天皇の時代は、戦後40年以上続いた。
 その間、昭和天皇は多くの出来事を目撃した。
 日本の自動車産業や家電産業の台頭、ゴジラ映画、
 日本の野球リーグの登場などである。


昭和天皇が崩御された1989年、日本は世界第2位の経済大国になっており、
 日米は敵同士ではなく、近しい友人であり、貿易パートナーになっていた。


日本が一躍世界の表舞台に躍り出て、一度は傷つき倒れ、
 再び大国として戻ってきた時代に在位していた昭和天皇は、
 天皇の歴史上、最も在位期間が長かった。
 20世紀の、激動の時代に生を受けた人だったのだ



以上になります。
昭和天皇の戦争責任について言及する声もいくつかありましたが、
ほとんどの方は戦時中の事よりもその後の復興に着目しており、
激動の時代を支えられた昭和天皇への敬意が感じられる意見も目立ちました。

海外「日本人は幸せだね!」 両陛下を写した1枚のお写真に外国人が感動

2017-11-18
[ 2017/11/18 23:00 ] 文化・歴史 | TB(-) | CM(-)



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